一般の取引、たとえば商品の売買やサービスの契約でも、責任と補填は必ずといっていいほど登場する重要な要素です。契約書に「補填条項」として書かれているこの部分は、単なる法律用語ではなく、実際にお金が動く場面を予め決めておく仕組みです。たとえば、あなたの会社がソフトウェアを購入したとき、そのソフトが第三者の著作権を侵害していた場合、売主がその訴訟費用や賠償金を負担する--これが補填の典型的な例です。
補填とは何か:お金の流れを事前に決める仕組み
補填(ほてん)とは、一方の当事者が、もう一方の当事者が特定の事由で被った損失や損害を、自らの財布から補填するという約束です。日本語で「賠償」とも言いますが、法律の文脈では、単に「謝罪」や「弁償」ではなく、契約上の義務として明確に定められた金銭的補填を意味します。アメリカの法律情報サイトLII(Legal Information Institute)は、「補填とは、特定の事故や事件に関連して発生した損害や損失を補填すること」と定義しています。
この仕組みの本質は、「誰が何を負うか」を事前に決めておくことです。取引がうまくいっていれば問題になりませんが、トラブルが起きたとき、この条項がないと「誰のせい?」というもめ事に発展します。補填条項があれば、その責任の範囲や金額、手続きがすべて契約書に書かれているので、争いを減らすことができます。
補填条項に必ず含まれる7つの要素
単に「補填します」と書くだけでは意味がありません。効果的な補填条項は、次の7つの要素を明確に定めています。
- 補填の範囲:何を補填するのか? 法的費用、第三者からの請求、過失による損害、税務問題など、具体的に列挙します。
- 補填の発生条件:どんなことが起きたら補填義務が発生するのか? 契約違反、虚偽の陳述、セキュリティ不備、知的財産侵害などが該当します。
- 有効期間:契約が終了した後も補填義務は続くのか? 一般的に、重要な陳述(例:会社の資産所有権)は3〜5年、通常の陳述は1〜2年とされます。
- 制限と除外事項:補填の上限額(例:取引金額の100%まで)や、間接損失(売上減損、評価下落など)は除外する、といったルールが入ります。
- 請求手続き:補填を求める側は、何日以内に通知しなければならないか? 証拠は何か? どの形式で提出するか? これを明確にしないと、後で「通知しなかった」と言い逃れされます。
- 保険の要件:補填する側は、その能力を担保するために保険に加入している必要があります。どの保険? いくらの補償額? これを明記しないと、補填義務があっても支払えない状況になります。
- 管轄法と裁判所:もし争いが起きた場合、どの国の法律が適用されるか? どの裁判所で解決するか? 日本企業が海外の企業と契約する場合、この項目は非常に重要です。
一方的補填と相互補填:どちらが有利か
補填は、一方的か、相互かで大きく意味が変わります。
一方的補填は、一方の当事者だけが他方を補填する形です。たとえば、ITベンダーが企業顧客にソフトウェアを提供する場合、そのソフトが特許を侵害した場合、ベンダーがすべての損害を負う--これが典型的な一方的補填です。買い手が交渉力を持つ場合、こうした条項が求められます。
相互補填は、両者が互いに補填する仕組みです。建設業界でよく見られます。建設会社と発注者が、現場で従業員がけがをした場合、どちらかの過失によるものなら、その当事者が補填するというルールです。取引のバランスが取れている場合に使われますが、M&A(合併・買収)ではあまり一般的ではありません。
「補填」「弁護」「無責任」の違いを理解する
契約書でよく見かける三つの言葉--「補填する」「弁護する」「無責任にする」--は、似ているようで、法律的にまったく異なります。
- 補填する:損害や費用を実際に支払う義務。たとえば、訴訟で1000万円の賠償金を払った場合、その金額を相手に返す。
- 弁護する:訴訟の費用(弁護士費用、裁判所費用)を負担する義務。補填とは別に、訴訟を起こされたときに「あなたが困らないように、私が弁護士を雇う」という意味です。
- 無責任にする:相手が自分を訴えたり、責任を追及したりできないようにする条項。たとえば、「あなたが自らの過失でデータを削除したのに、それを私のせいにしないでください」という意味です。
多くの契約書では、「補填・弁護・無責任」の三つが一緒に書かれていますが、それぞれの義務が異なることを理解しておく必要があります。特に「弁護」は、訴訟の戦略をどうするかという重要な権限を伴います。誰が弁護を担当するかで、費用や結果が大きく変わるので、契約では「弁護の支配権」を明確に定めるべきです。
なぜ補填は交渉の焦点になるのか
補填条項は、M&A(合併・買収)のような大規模取引では、最も議論される部分の一つです。なぜなら、この条項が、取引後のリスクを誰が背負うかを決定するからです。
売り手側は、できるだけ補填の範囲を狭め、上限額を下げ、期間を短くしたいと考えます。一方、買い手側は、補填の範囲を広く、期間を長く、上限額を高く設定したいのです。この対立が、交渉の中心になります。
さらに、契約上の陳述(「当社は資産を所有しています」「税務上の問題はありません」など)を「基本的な陳述」と「通常の陳述」に分けることで、補填の条件を柔軟に調整します。基本的な陳述(会社の存在、資産所有、税務など)は、長期にわたって補填の対象とします。一方、従業員の福利厚生やIP(知的財産)に関する陳述は、短期間で終了させることもあります。
実務でよくあるミスとその対策
多くの企業が、補填条項を「テンプレートで済ませよう」として失敗します。次の3つのミスが特に多いです。
- 「補填」の範囲が曖昧:「すべての損害を補填」と書くと、間接損失まで含むと解釈される可能性があります。必ず「直接的かつ通常の損害」に限定しましょう。
- 通知期限を無視:契約書に「損害発生後30日以内に書面で通知」とあるのに、半年後に通知すると、補填義務が発生しないと裁判所で判断されることがあります。
- 保険の有無を確認しない:補填義務を負う側が保険に入っていなければ、契約上は義務があっても、実際には支払えません。契約締結前に、保険証書のコピーを要求しましょう。
特に日本企業は、海外の取引先と契約する際に、英語の契約書の文言をそのまま受け入れがちです。しかし、英語の「indemnify」は日本語の「補填」と同じ意味ではありません。米国では、補填義務が非常に広く解釈されることがあります。日本の法律に合った形で、必ず弁護士にチェックしてもらいましょう。
補填は、リスクを管理するための道具
補填条項は、リスクを「回避」するものではありません。リスクを「管理」するための道具です。完全にリスクをゼロにすることはできませんが、誰がどのリスクを負うかを明確にすることで、取引を安定させることができます。
どんな取引でも、契約書を読むときは、まず「補填」の部分に目を向けましょう。そこには、取引の真のリスクと、その対応策が凝縮されています。単なる法律の決まり文句ではなく、現実のお金と責任の流れを示す「マップ」なのです。